地域パートナーの想い

十和田を元気にして、日本を元気にする。 そして、“グローカル”に『十和田バラ焼き』という食文化を広めていく!

十和田を元気にして、日本を元気にする。 そして、“グローカル”に『十和田バラ焼き』という食文化...

2010年、東北新幹線全線開業し、十和田市に誘客を図るべく「十和田バラ焼きゼミナール」という地域活性化団体を設立しました。 団体名にも入っている「バラ焼き」とは、青森県県南では、当たり前に食べられていた独自料理で、 誕生は昭和20年代に米軍基地近くの屋台から発祥したと言われており、昭和33年に十和田市で大ヒットした食文化で、それが未だに根付いている食文化です。 団体設立の目的は、「まちおこし」。『十和田バラ焼き』は、あくまで町を知ってもらうためで、常に地方創生を意識しています。 日本を元気にしていくには、 地域を元気にしていくしかない! そのためには、自分のエリアを元気にするんだ! 画像提供:©(一社)十和田奥入瀬観光機構、©十和田奥入瀬観光機構 キーワードは、“グローカル”。世界的な視野で(グローバルに)物事を考え、地元に土着した(ローカルな)食文化を広め、日本の人も海外の人ももっと十和田にきてほしい! 十和田で当たり前に食べられている『十和田バラ焼き』をみんなが食べに来ることが旅の目的になる。そんなシーンを十和田の子供達に見せて、 彼らに地域プライドを持って、自分自身の誇りにしてほしいと願います!

十和田を元気にして、日本を元気にする。 そして、“グローカル”に『十和田バラ焼き』という食文化...

2010年、東北新幹線全線開業し、十和田市に誘客を図るべく「十和田バラ焼きゼミナール」という地域活性化団体を設立しました。 団体名にも入っている「バラ焼き」とは、青森県県南では、当たり前に食べられていた独自料理で、 誕生は昭和20年代に米軍基地近くの屋台から発祥したと言われており、昭和33年に十和田市で大ヒットした食文化で、それが未だに根付いている食文化です。 団体設立の目的は、「まちおこし」。『十和田バラ焼き』は、あくまで町を知ってもらうためで、常に地方創生を意識しています。 日本を元気にしていくには、 地域を元気にしていくしかない! そのためには、自分のエリアを元気にするんだ! 画像提供:©(一社)十和田奥入瀬観光機構、©十和田奥入瀬観光機構 キーワードは、“グローカル”。世界的な視野で(グローバルに)物事を考え、地元に土着した(ローカルな)食文化を広め、日本の人も海外の人ももっと十和田にきてほしい! 十和田で当たり前に食べられている『十和田バラ焼き』をみんなが食べに来ることが旅の目的になる。そんなシーンを十和田の子供達に見せて、 彼らに地域プライドを持って、自分自身の誇りにしてほしいと願います!

蒜山という地域を盛り上げて、 いろいろな人に蒜山の魅力を堪能してほしい!

蒜山という地域を盛り上げて、 いろいろな人に蒜山の魅力を堪能してほしい!

岡山県真庭市蒜山という場所は、元々は、年間で200万人ほど来る観光地でしたが、観光ニーズの多様化などの影響もあり徐々に減ってしまいました。そこでご当地グルメ『ひるぜん焼そば』を使って、岡山県真庭市蒜山という地域をもっと知ってもらい、来てもらい、ファンになってもらいたい!そんな想いから誕生したのが、「ひるぜん焼そば好いとん会」です!! 蒜山地域は、かつて”陸の孤島”と呼ばれていたくらい冬場は雪深く、交通の便が悪くなります。そんな中で、冬の保存食として、味噌や味噌ダレを各家庭で作っていました。 そこに『ひるぜん焼そば』のルーツがあります!!蒜山地域ではソース焼きそばではなく、タレ焼きそばが地元に古くから根付いているのです。 また、春には桜、夏はキャンプやサイクリング、秋には紅葉、冬にはスキーと、グルメ以外にも沢山の体験ができるのが蒜山の魅力をより多くの方に蒜山をもっと知って頂き、また来たいなと思っていただけると嬉しいです!

蒜山という地域を盛り上げて、 いろいろな人に蒜山の魅力を堪能してほしい!

岡山県真庭市蒜山という場所は、元々は、年間で200万人ほど来る観光地でしたが、観光ニーズの多様化などの影響もあり徐々に減ってしまいました。そこでご当地グルメ『ひるぜん焼そば』を使って、岡山県真庭市蒜山という地域をもっと知ってもらい、来てもらい、ファンになってもらいたい!そんな想いから誕生したのが、「ひるぜん焼そば好いとん会」です!! 蒜山地域は、かつて”陸の孤島”と呼ばれていたくらい冬場は雪深く、交通の便が悪くなります。そんな中で、冬の保存食として、味噌や味噌ダレを各家庭で作っていました。 そこに『ひるぜん焼そば』のルーツがあります!!蒜山地域ではソース焼きそばではなく、タレ焼きそばが地元に古くから根付いているのです。 また、春には桜、夏はキャンプやサイクリング、秋には紅葉、冬にはスキーと、グルメ以外にも沢山の体験ができるのが蒜山の魅力をより多くの方に蒜山をもっと知って頂き、また来たいなと思っていただけると嬉しいです!

明石を盛り上げ、『あかし玉子焼』をもっと身近に!

明石を盛り上げ、『あかし玉子焼』をもっと身近に!

大阪の「たこ焼」によく似た『あかし玉子焼』。よく、大阪の「たこ焼」をうどん出汁につけて食べる料理だ!と言われますが、全く異なります。さらに、歴史を遡ると実は『あかし玉子焼』の方が誕生は早く、「たこ焼」誕生のヒントになったグルメです。「あかし玉子焼」として知られていることが多いですが、本名「玉子焼」、芸名「明石焼」が正式な呼称となります。 江戸時代末期より地場産業として盛んであった「明石玉(飾り玉)」を製作する際に卵の白身を接着剤代わりに使用し、余った黄身の再利用から誕生したと言われ、約160年も前に誕生したと言われています。 しかし、全国ではまだ『あかし玉子焼』を間違った認識をされている方も多く、1人でも多くの方に・たこ焼とは全く違った食べ物であること・『あかし玉子焼』というご当地グルメの美味しさを知って頂きたいと思っています!そして、自分達の縁が深い大好きな町「明石」を多くの方に知って頂き、来て頂き、まちを好きになって頂きたい! 画像提供:(一社)明石観光協会 今までは飲食店でしか食べれなかった『あかし玉子焼』が、「たこパ」ならぬ「あかパ」のように、ご家庭でも『あかし玉子焼』が身近にあり、よく食べられている。そんな夢を持っております! ※明石焼(玉子焼)は、令和4年3月に文化庁「100年フード」に認定されました。

明石を盛り上げ、『あかし玉子焼』をもっと身近に!

大阪の「たこ焼」によく似た『あかし玉子焼』。よく、大阪の「たこ焼」をうどん出汁につけて食べる料理だ!と言われますが、全く異なります。さらに、歴史を遡ると実は『あかし玉子焼』の方が誕生は早く、「たこ焼」誕生のヒントになったグルメです。「あかし玉子焼」として知られていることが多いですが、本名「玉子焼」、芸名「明石焼」が正式な呼称となります。 江戸時代末期より地場産業として盛んであった「明石玉(飾り玉)」を製作する際に卵の白身を接着剤代わりに使用し、余った黄身の再利用から誕生したと言われ、約160年も前に誕生したと言われています。 しかし、全国ではまだ『あかし玉子焼』を間違った認識をされている方も多く、1人でも多くの方に・たこ焼とは全く違った食べ物であること・『あかし玉子焼』というご当地グルメの美味しさを知って頂きたいと思っています!そして、自分達の縁が深い大好きな町「明石」を多くの方に知って頂き、来て頂き、まちを好きになって頂きたい! 画像提供:(一社)明石観光協会 今までは飲食店でしか食べれなかった『あかし玉子焼』が、「たこパ」ならぬ「あかパ」のように、ご家庭でも『あかし玉子焼』が身近にあり、よく食べられている。そんな夢を持っております! ※明石焼(玉子焼)は、令和4年3月に文化庁「100年フード」に認定されました。

横手と美味しい焼きそばを知ってもらい、日本を代表するご当地グルメに!

横手と美味しい焼きそばを知ってもらい、日本を代表するご当地グルメに!

【横手やきそば暖簾会】は、「美味しい焼きそばを横手という地域と共にPRしていく」「横手という町を知ってもらう」「『横手やきそば』で横手市の認知度を上げる」を理念に、2021年で20周年を迎えました。 現在では、約35店舗が加盟をしておりますが、『横手やきそば』の歴史は長く、昭和20年代後半に横手市の屋台から始まったとされていて、昭和30年代後半には、100店舗ほどのお店があった様です。   屋台から始まり、次第に駄菓子屋でも提供されるようになりました。今となっては焼きそばに「紅生姜」を乗せる方が多いかと思いますが、『横手やきそば』は、当時の駄菓子屋に焼きそばを購入する子供たちには「紅生姜は辛い」ということから、子供にも食べやすいようにと「福神漬」を乗せ、当時から人気があったようです。※諸説あり   こういった地元横手に古く歴史を持ち、昔から変わらない味を今後は、日本全国の方々はもちろん、海外の方々にも召し上がって頂き、日本を代表するご当地グルメになりたいです!

横手と美味しい焼きそばを知ってもらい、日本を代表するご当地グルメに!

【横手やきそば暖簾会】は、「美味しい焼きそばを横手という地域と共にPRしていく」「横手という町を知ってもらう」「『横手やきそば』で横手市の認知度を上げる」を理念に、2021年で20周年を迎えました。 現在では、約35店舗が加盟をしておりますが、『横手やきそば』の歴史は長く、昭和20年代後半に横手市の屋台から始まったとされていて、昭和30年代後半には、100店舗ほどのお店があった様です。   屋台から始まり、次第に駄菓子屋でも提供されるようになりました。今となっては焼きそばに「紅生姜」を乗せる方が多いかと思いますが、『横手やきそば』は、当時の駄菓子屋に焼きそばを購入する子供たちには「紅生姜は辛い」ということから、子供にも食べやすいようにと「福神漬」を乗せ、当時から人気があったようです。※諸説あり   こういった地元横手に古く歴史を持ち、昔から変わらない味を今後は、日本全国の方々はもちろん、海外の方々にも召し上がって頂き、日本を代表するご当地グルメになりたいです!